ひまわり Sunflowers(1887) - フィンセント・ファン・ゴッホ
ひまわり Sunflowers(1887) - フィンセント・ファン・ゴッホ
1887年の夏の終わり、パリに滞在していた時に描かれたひまわりの静物画です。ゴッホといえば1888年と1889年に描かれた花瓶に生けられたひまわりの7つの作品が最も有名ですが、花だけを描いた静物画も計4作品描いています。
花咲くアーモンドの木の枝 Almond blossom(1890) - フィンセント・ファン・ゴッホ
花咲くアーモンドの木の枝 Almond blossom(1890) - フィンセント・ファン・ゴッホ
弟テオとその妻ヨーの間に息子が誕生したことを祝福して、弟テオにプレゼントした作品。春の初めに咲くことから、アーモンドは「新たな命」の象徴とされています。テオとヨーは息子に「フィンセント」(兄のファーストネーム)の名を授け、兄に宛てた手紙でテオは「あなたのように決意を持ち、勇敢な子に育つことを願って名付けました」と綴っています。
アイリス Irises(1890) - フィンセント・ファン・ゴッホ
アイリス Irises(1890) - フィンセント・ファン・ゴッホ
サン=レミの療養院を退院する直前の1890年5月に描かれた作品。同じ時期に、同じ構図で異なった配色の静物画を4つ(2つはアイリスを、2つはバラを)描いています。
薔薇 Roses(1890) - フィンセント・ファン・ゴッホ
薔薇 Roses(1890) - フィンセント・ファン・ゴッホ
サン=レミの療養院を退院する直前の1890年5月に描かれた作品。ゴッホの描いた静物画の中では最も大きいサイズ(71×90cm)の作品でした。現在は薔薇の色が白っぽく褪色していますが、もともとはピンク色で、壁紙と補色の関係にあったことが分かっています。同じ時期に、同じ構図で異なった配色の静物画を4つ(2つはアイリスを、2つはバラを)描いています。
3本のひまわり Vase with Three Sunflowers(1888) - フィンセント・ファン・ゴッホ
3本のひまわり Vase with Three Sunflowers(1888) - フィンセント・ファン・ゴッホ
ゴッホの代名詞とも言える「ひまわり」の静物画。南仏アルルの、通称「黄色い家」に居た頃の1888年に描き始め、7作品の存在が確認されていますが、こちらは最初に描かれた記念すべき一作目。「黄色い家」の作業部屋を明るく飾り立てるために6つの異なったひまわりの作品を描く構想でしたが、結局4つしか描くことができず、後の3つはオリジナルの模写です。
12本のひまわり Vase with Twelve Sunflowers(1888) - フィンセント・ファン・ゴッホ
12本のひまわり Vase with Twelve Sunflowers(1888) - フィンセント・ファン・ゴッホ
ゴッホの代名詞とも言える「ひまわり」の静物画。南仏アルルの、通称「黄色い家」に居た頃の1888年に描き始め、7作品の存在が確認されていますが、こちらは3つ目の作品。2つ目は日本の実業家が保有していましたが、第二次世界大戦時の空襲で消失してしまいました。「黄色い家」の作業部屋を明るく飾り立てるために6つの異なったひまわりの作品を描く構想でしたが、結局4つしか描くことができず、後の3つはオリジナルの模写です。
ひまわり Sunflowers(1888) - フィンセント・ファン・ゴッホ
ひまわり Sunflowers(1888) - フィンセント・ファン・ゴッホ
ゴッホの代名詞とも言える「ひまわり」の静物画。南仏アルルの、通称「黄色い家」に居た頃の1888年に描き始め、7作品の存在が確認されていますが、こちらは4つ目の作品。共同生活をしていた画家のゴーギャンはこの作品をゴッホの最高傑作と評し、この作品を描くゴッホの肖像画を残しています。
12本のひまわり Vase with Twelve Sunflowers(1889) - フィンセント・ファン・ゴッホ
12本のひまわり Vase with Twelve Sunflowers(1889) - フィンセント・ファン・ゴッホ
ゴッホの代名詞とも言える「ひまわり」の静物画。南仏アルルの、通称「黄色い家」に居た頃の1888年に描き始め、7作品の存在が確認されていますが、こちらは3つ目に描いた作品の模写。耳切り事件を起こして入院した後、黄色い家に戻ってから描かれました。
オレンジ、レモン、青い手袋のある静物 Still Life of Oranges and Lemons with Blue Glove(1889) - フィンセント・ファン・ゴッホ
オレンジ、レモン、青い手袋のある静物 Still Life of Oranges and Lemons with Blue Glove(1889) - フィンセント・ファン・ゴッホ
この静物画は、ゴッホが南仏アルルの「黄色い家」で起こした耳切り事件の後に収容された、アルル市立病院を退院後すぐに描かれた作品。代表作のひまわりなどと同様に、コントラストを強調させた強烈な色使いが特徴的な静物画です。
エルサレム・アーティチョークの花 Jerusalem Artichoke Flowers (1880) - クロード・モネ
エルサレム・アーティチョークの花 Jerusalem Artichoke Flowers (1880) - クロード・モネ
戸外での制作が多かったモネが描いた、数少ない室内の花の絵のうちの一枚。1879年の夏の終わりに妻カミーユを失ったモネは、その秋戸外では仕事をせず、花や果物を描いて過ごしました。エルサレム・アーティチョークは日本語で菊芋のこと。小さくてかわいらしい黄色い花を咲かせます。
ひまわり Bouquet of Sunflowers (1881) - クロード・モネ
ひまわり Bouquet of Sunflowers (1881) - クロード・モネ
第7回印象派展に出展された作品。日本の陶磁器に生けられたひまわりが、モネらしい大胆で活気のある筆致で描かれています。ひまわりと言えば1888年に描かれたゴッホの作品が有名ですが、彼が弟のテオに宛てた手紙の中でこのモネの作品について、以下のように触れた文章が残っています。「ゴーギャンは彼が以前観たクロード・モネの素晴らしいひまわりの作品より僕の描いた作品の方がいいって言ったんだけど、僕はそうは思わないよ。」
菊の花 Chrysanthemums (1882) - クロード・モネ
菊の花 Chrysanthemums (1882) - クロード・モネ
花瓶に生けられた菊の花を描いた作品。戸外での制作が多かったモネの、数少ない室内の静物画の作品のうちの一つです。モネは1878年から1883年にかけて約20点の花の静物画を描きました。ひまわりの作品と共に、1883年には画商デュラン・リュエルのギャラリーに、1886年には「20人展」に展示されました。