星月夜 The Starry Night(1889) - フィンセント・ファン・ゴッホ
星月夜 The Starry Night(1889) - フィンセント・ファン・ゴッホ
世界で最も有名な絵画のうちの一つ。療養院であったサン・ポール・ド・モーゾール修道院にて描かれました。ゴッホは作品のインスピレーションについて、画商の弟テオに宛てた手紙の中で「療養院の窓から街の風景を眺めていたある夜明け前、星たちがいつもよりとても大きく見えたんだ」と語っています。
糸杉 Cypresses(1889) - フィンセント・ファン・ゴッホ
糸杉 Cypresses(1889) - フィンセント・ファン・ゴッホ
サン=レミの療養院にいた頃に描かれた「糸杉」の連作の内の一つ。ゴッホは糸杉について「線とプロポーションに関して言えば、まるでエジプトのオベリスクのように美しい」と評しており、とても気に入っていました。
ひまわり Sunflowers(1887) - フィンセント・ファン・ゴッホ
ひまわり Sunflowers(1887) - フィンセント・ファン・ゴッホ
1887年の夏の終わり、パリに滞在していた時に描かれたひまわりの静物画です。ゴッホといえば1888年と1889年に描かれた花瓶に生けられたひまわりの7つの作品が最も有名ですが、花だけを描いた静物画も計4作品描いています。
ローヌ川の星月夜 Starry Night Over the Rhone(1888) - フィンセント・ファン・ゴッホ
ローヌ川の星月夜 Starry Night Over the Rhone(1888) - フィンセント・ファン・ゴッホ
ゴッホが南フランスのアルルで借りていた通称「黄色い家」からほど近い、ローヌ川の夜の星空を描いた作品。晩年に描かれた作品では珍しく穏やかな印象があり、精神病院に入院した後に描かれた「星月夜」よりも落ち着いた、美しい夜の景色が描かれています。
花咲くアーモンドの木の枝 Almond blossom(1890) - フィンセント・ファン・ゴッホ
花咲くアーモンドの木の枝 Almond blossom(1890) - フィンセント・ファン・ゴッホ
弟テオとその妻ヨーの間に息子が誕生したことを祝福して、弟テオにプレゼントした作品。春の初めに咲くことから、アーモンドは「新たな命」の象徴とされています。テオとヨーは息子に「フィンセント」(兄のファーストネーム)の名を授け、兄に宛てた手紙でテオは「あなたのように決意を持ち、勇敢な子に育つことを願って名付けました」と綴っています。
アイリス Irises(1890) - フィンセント・ファン・ゴッホ
アイリス Irises(1890) - フィンセント・ファン・ゴッホ
サン=レミの療養院を退院する直前の1890年5月に描かれた作品。同じ時期に、同じ構図で異なった配色の静物画を4つ(2つはアイリスを、2つはバラを)描いています。
糸杉と星の見える道 Road with Cypress and Star(1890) - フィンセント・ファン・ゴッホ
糸杉と星の見える道 Road with Cypress and Star(1890) - フィンセント・ファン・ゴッホ
フランスのサン=レミ=ド=プロヴァンスにいた頃に描かれた最後の作品。作品を描き終えた後にゴーギャンに送った手紙では、ゴーギャン作「オリーブ山のキリスト」と同様に「苦悩と不屈」をテーマに描いたことを語っています。一見すると美しい情景ですが、欧米では糸杉は死の象徴とされており、彼自身が自分の死が近いことを感じとっていたのかもしれません。
12本のひまわり Vase with Twelve Sunflowers(1888) - フィンセント・ファン・ゴッホ
12本のひまわり Vase with Twelve Sunflowers(1888) - フィンセント・ファン・ゴッホ
ゴッホの代名詞とも言える「ひまわり」の静物画。南仏アルルの、通称「黄色い家」に居た頃の1888年に描き始め、7作品の存在が確認されていますが、こちらは3つ目の作品。2つ目は日本の実業家が保有していましたが、第二次世界大戦時の空襲で消失してしまいました。「黄色い家」の作業部屋を明るく飾り立てるために6つの異なったひまわりの作品を描く構想でしたが、結局4つしか描くことができず、後の3つはオリジナルの模写です。
オリーブの木々、背景にアルピーユ山脈 Olive Trees with the Alpilles(1889) - フィンセント・ファン・ゴッホ
オリーブの木々、背景にアルピーユ山脈 Olive Trees with the Alpilles(1889) - フィンセント・ファン・ゴッホ
ゴッホが居たサン=レミ=ド=プロヴァンスから南に位置するアルピーユ山脈を背景にオリーブ畑を描いた作品。大きくうねる筆致が、夏の南仏らしい乾燥した厳しい暑さを彷彿とさせる作品です。
オーヴェルの教会 The Church at Auvers(1890) - フィンセント・ファン・ゴッホ
オーヴェルの教会 The Church at Auvers(1890) - フィンセント・ファン・ゴッホ
フランスのパリから北西に30キロほど離れたオーヴェル=シュル=オワーズの教会を描いた作品。プロヴァンスの療養院を出た後、ゴッホは亡くなるまでの最後の時間をこの地の農村で過ごしました。
丘を抜ける二本のポプラ Two Poplars in the Alpilles near Saint-Rémy(1889) - フィンセント・ファン・ゴッホ
丘を抜ける二本のポプラ Two Poplars in the Alpilles near Saint-Rémy(1889) - フィンセント・ファン・ゴッホ
サン=レミのサン=ポール療養院にいた頃に描かれた作品。療養院のあった場所からさらに南に広がるアルピーユ山脈を背景に、ポプラの木を描いた秋の作品です。入院して最初の頃は室内での制作に制限されていましたが、後に敷地の外に出ることを許可され、美しい南仏の景色を多く描きました。
緑の麦畑 Green Wheat Fields, Auvers(1890) - フィンセント・ファン・ゴッホ
緑の麦畑 Green Wheat Fields, Auvers(1890) - フィンセント・ファン・ゴッホ
ゴッホ終焉の地、パリの北西にあるオーヴェル=シュル=オワーズにて描かれた作品。初夏の青々とした小麦畑が描かれています。空と新緑、小道以外に何の芸術的モチーフも存在しない、純真な自然のみを描いた美しい作品です。
サンタドレスの海岸 The Beach at Sainte-Adresse (1867) - クロード・モネ
サンタドレスの海岸 The Beach at Sainte-Adresse (1867) - クロード・モネ
1867年の夏、モネはフランス・ノルマンディー地方に位置するル・アーブルのサンタドレスに住む叔母を訪ね戸外で制作を行いました。この作品はその時に描かれた作品のうちの一枚。真っ青な海と、曇天のコントラストが印象的です。この頃のモネはサンタドレス海岸から見える海の景色を主題とした作品を多く描きました。
サン=ラザール駅、ノルマンディーからの列車 Arrival of the Normandy Train, Gare Saint-Lazare (1877) - クロード・モネ
サン=ラザール駅、ノルマンディーからの列車 Arrival of the Normandy Train, Gare Saint-Lazare (1877) - クロード・モネ
フランス、パリのサン=ラザール駅を描いた作品。サン=ラザール駅はロンドンのクリスタル・パレスに代表されるガラスと鉄骨で織りなす建築の先駆けであり、そして工業化されていく社会の象徴でもありました。モネはこの年、サン=ラザール駅とその周辺をテーマに多くの作品を描き、そのうちの8点をその年に開かれた「第三回印象派展」に出展しています。
朝もや Morning Haze (1888) - クロード・モネ
朝もや Morning Haze (1888) - クロード・モネ
モネの自宅のあるジヴェルニーからほど近い、ひなげし畑の朝の風景を描いたと思われる作品。1890年には同じひなげしの野をモチーフにした作品を「連作」の手法で描いています。朝靄の幻想的な効果を見事に表現した作品です。
積みわら、雪の効果、曇り日 Stack of Wheat, Snow Effect, Overcast Day (1890 - 1891) - クロード・モネ
積みわら、雪の効果、曇り日 Stack of Wheat, Snow Effect, Overcast Day (1890 - 1891) - クロード・モネ
モネの最初の連作「積みわら」のうちの一枚。寒々とした冬のジヴェルニーが描かれています。モネは1889年から1890年にかけて、ジヴェルニーの自宅周辺にあった積みわらを描くことに注力しました。同じ対象物を異なった時間・季節に描くことで、移ろい変化する光・大気・天候の効果を表現しようと試みたのが「積みわら」の連作で、20~30点以上を描いています。
ヴァーノンのネトルズ島 Île aux Orties near Vernon (1897) - クロード・モネ
ヴァーノンのネトルズ島 Île aux Orties near Vernon (1897) - クロード・モネ
モネの自宅があったジヴェルニーからほど近い、エプト川とセーヌ川が合流する地点の茂みを描いた作品。モネは1896年ごろから夏には太陽が昇る前に自宅を出て、セーヌ川支流の朝霧の効果を描くことを日課としていました。この時に描かれた連作「セーヌ河の朝」は1898年の個展に出品され、成功を収めています。
ウォータールー橋、ロンドン、夕暮れ Waterloo Bridge, London, at Sunset (1901) - クロード・モネ
ウォータールー橋、ロンドン、夕暮れ Waterloo Bridge, London, at Sunset (1901) - クロード・モネ
1899年から1901年にかけて、モネはロンドンに3度の取材旅行へ出かけ、テムズ川の霧の効果を描くことに取り組みました。こちらは夕暮れ時のウォータール橋を描いた作品。1904年には「テムズ川の眺めの連作」と題しデュラン・リュエル画廊に37点の作品が展示されました。
チャリングクロス橋、ロンドン Charing Cross Bridge, London (1901) - クロード・モネ
チャリングクロス橋、ロンドン Charing Cross Bridge, London (1901) - クロード・モネ
イギリス、ロンドンのテムズ川にかかるチャリング・クロス橋と、霧の効果を描いた作品。1899年から三度に渡るロンドンへの取材旅行で、約100点ものテムズ川の風景を描きました。陽光と霧の織り成す幻想的な光の効果が見事に表現されています。
パラッツォ・ダ・ムーラ、ヴェニス Palazzo da Mula, Venice (1908) - クロード・モネ
パラッツォ・ダ・ムーラ、ヴェニス Palazzo da Mula, Venice (1908) - クロード・モネ
水の都、イタリア・ベネチアの運河に面する特徴的な建物を描いた作品。70歳が近づきつつあったモネは、1908年の10月から12月にかけて妻のアリスと共にイタリアのヴェネツィアへ最後の大旅行を敢行し、「ヴェネツィアの眺め」と題した29枚の作品を残しました。
浜辺にいる若い少女 Young Woman on the Beach (1896) - エドヴァルド・ムンク
浜辺にいる若い少女 Young Woman on the Beach (1896) - エドヴァルド・ムンク
Young Woman on the Beach (1896)
病める子 Ⅰ The Sick Child I (1896) - エドヴァルド・ムンク
病める子 Ⅰ The Sick Child I (1896) - エドヴァルド・ムンク
The Sick Child I (1896)
水流 Bewegte Wasser (1898) - グスタフ・クリムト
花咲くリンゴの木 The Flowering Apple Tree (1912) - ピート・モンドリアン
花咲くリンゴの木 The Flowering Apple Tree (1912) - ピート・モンドリアン
The Flowering Apple Tree (1912)